盂蘭盆会帰り来ぬいのち尊厳をラーゲリ(収容所)から来た7通の遺書
「収容所から来た遺書」
辺見じゅん 著 文春文庫
終戦の日の今日、一冊の本を紹介したい。
まだ、読んでいない若い人たちにも是非手にしてもらえたらと思う。
(一人でも多くの方々、とりわけ戦争を知らない若い方々に読んでいただけたら望外の幸せである 逸見じゅん )と記されている。

極寒のシベリア、ラーゲリに収容された約60万人の日本人、そのうち7万人以上の人が、飢えと、過酷な労働の末、望郷の思いを抱いたまま亡くなった。
正確な数は把握されていないという。
本書は、山本幡男という一人の凡人(いえ非凡な)男の残した遺書とその仲間たちの物語だ。
今の私たちには、想像もできない過酷な強制収容所で、長い年月、不屈の精神と生命力で、なお人間らしく生きた彼ら。
病で死を悟った山本が「遺書」を託した、仲間たちに・・・・。
厳しい監視の目を盗み、秘かに書き記した遺書、それは次々に仲間に手渡され、書き写され何度も読まれ、没収され・・・・それでも仲間たちは、手分けして一字一句記憶したのだ。
帰国が許されたとしても、ラーゲリからは、紙一枚持ち出すことはできないのだから。
やがて生きて、戦後11年ぶりに日本に帰還した彼らによって、山本家に次々と遺書が届けられた。
便せんや原稿用紙に清書されたこれらの遺書は、男たちがラーゲリで絶えず復誦し、頭の中に刻み込み、記憶としてラーゲリから運んできたものだった。
残された言葉に、心が震える。
7通目にあたる遺書が届いたのは、昭和62年の夏だった。
山本が昭和29年に強制収容所でこの世を去ってから、33年が経っていた。
「記憶」という形で届けられた遺書、ほぼ完璧だった。
人間ていいですね。

(クロちゃん、最後は幸せでよかったワンと思っている?ルナ姫
)
*クロという犬のいたこと
ハバロフスクの収容所にいた犬「クロ」収容所を出るときに、クロを置き去りにするのが、忍び難く、監視兵の目をかすめて、誰かが汽車の乗せたが、桟橋の前で監視兵に見つかってしまう。
日本兵が乗船して、埠頭に取り残されたクロ、船が動き出すと、クロは、日本兵を追って、海に飛び込んだ。
甲板にいた山岸が、黒いものが泳いでくるのを見つけた。甲板がざわめいた。
このままでは、氷海の寒さと疲労で死んでしまう。
そう思った時、興安丸の船橋にいた玉有船長が、船のエンジンを止めた。
助け上げられたクロは、バリバリに凍り付き動かなかった。
走るよったものの一人が、クロを抱きしめた。
やがて、クロのかすかに動く気配・・・。
シベリアうまれのクロは、帰還した人々と共に日本の地を踏む。
犬好きの舞鶴市役所職員に引き取られ、数年後に死んだ。
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