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風花の白き便りは空に住む愛しきものの春の知らせか
飼い主に捨てられたり、保健所に引き取られたりした犬猫は2~3日以内に殺処分される。その数、年間30万超という。
愛犬家の松野頼久衆院議員(民主党)が環境委員会でたびたび提案していた施策が、導入されることとなった。
環境省と厚生労働省は昨年、全国の自治体に収容の期間を出来るだけ延ばすよう「出来るだけ殺処分しないで生存の機会を与えるよう」要請、指導する文書を出した。
新年度から国は、自治体に収容された犬猫に新しい飼い主が見つかった場合、予防ワクチン代を負担する。施設ですぐに処分されないように、3日分のえさ代も出すこととした。年間30万余の犬猫たちに、生きるチャンスを与えるために、そして殺処分半減を目指す。
ワンちゃん、ネコちゃんたち、いい里親に巡り合うといいね。
満濃池を見に行った。冷たく張りつめた空気が気持ちよくて、少し散歩した。
やさしい冬の陽ざしに、水面がきらきら輝いて、さざ波がたっていた
。
大バンが、ゆっくり泳いでいるのが見える。
池の水は、かなり水位が下がっているようだ。雨が少なかったもの。
それでも、池は神秘的、雲の間からお日様が顔を出すたびきらきら、微妙に色が変わって見える。
その昔、この池には、龍がすんでいたという。じいっと見つめていると何かの気配を感じる。
そう、龍がこの池の底深くに潜んでいそうな・・・・。
今の子供たちは、「ウオーターホースがいるようだね」っていうでしょう。たぶん。
ウオーターホースがいたら、楽しいね。
ほんとに、居そうだよ。
雪だるま空から落ちた贈り物拾い集めて子供ら笑顔
子どもたちの作った傑作?雪だるまさんもだんだん溶けてゆく。どんなに寒くても子供たちは元気いっぱい。滅多に積らない雪に大喜びしていた。小さい子どたちの居るご近所さんの庭には、雪だるまさんが何体か鎮座していた。
子供のころを思い出す。近所の悪がきどもが、どこからともなく集まってきて、わーわーきゃーきゃー雪合戦をして遊んでいたなあ。今は子供の数が激減、そんな姿は見られない。
けれど、雪だるまは作るんだ。親子で作ったのでしょうか?。
ああ、今日はすっかり雪も溶けてしまった。雪だるまもいなくなった。
底冷えのする夜、ゆめふくろうさんが現れて、雪だるまさんと遊んでいるでしょうか?
楽しい夢を見るといいな。
寒い夜には、愛犬の温もりをしみじみ思いだす。犬のくせに猫みたいに炬燵にもぐるのが好きだった。そのうち暑くなってくると、のそのそと炬燵から顔を出して「ファー」と欠伸などしていたっけ。
わたしは、この冬、湯たんぽを愛用している。この暖かさがうれしい。愛犬の温もりに似て。
そういえば、認知症のお年寄りを救った、老犬「湯たんぽ犬」がいたなあ。帰り道が分からなくなったおばあちゃんに一晩寄り添っていたというわんこ、湯たんぽのような温かい老犬だったのだろう。その温もりがおばあちゃんの命を守ったのだ。
今日も寒い一日だった。雪がまだ溶けずに残っている。
今夜は、我が家の湯たんぽ犬だったmomoの夢でも見て寝るとしよう。
※炬燵が好きだったmomoと可愛いお友達
下は、ペットショップにいた柴犬、面白い座り方をしていたので、パチリ!
美しき白の妖精舞い降りた無言の白の儚き世界
寒い寒い朝だった。天気予報どおり雪がチラチラみぞれ交じりの冷たい雨が降っていた。
午後から、雨が雪に変わり庭の木々は白い帽子を冠って震えているようだ。音もなく雪は降り続いている。ワンコもびっくり、じっと雪を見つめていた。毛布から顔だけ出して。
夕暮れ時、外を見るとなんと真白の世界になっていた。雪の女王様のお出ましだ。南国・四国は雪は珍しくて子供たちは大喜びなのだ。
まだまだ明日まで降り続くらしい。
明日は、どんな景色が広がっているのだろう。
夕暮れ時、国道を車で走っていた。わたしは母の居る病院を目指して。
前方を走る車が、スピードを落とし、何故か中央線にはみだしそうに何かを避けて走り出した。よく見るとワンコが一匹必死で(そのように見えた)早足でこちらに向かって歩いてくるではないか。
首には首輪の外れたような跡があった。飼い犬らしい、迷子になったのか?それとも、家出? 遊び過ぎて必死で我が家に向かっているような、そんな様子、車なんて全然気にしていない。「危ないよ!ワンちゃん」こんな夕暮れ時に。
ここは、車道なのに、心配でバックミラーで見えなくなるまで見送った。後続車もすべて、スピードを落として、ワンコを避けてカーブしながら運転していた。皆、心配しているのだなあ。
ワンちゃん無事に、家に帰るんだよ。皆心配しているよ。無事帰れたかなあ・・・。
※写真は我が家の頼もしい番犬maguちゃん
うつし身の人のこころは悲しいね泣いて笑って深い青空
人間には心がある。目には見えないけれど、誰もが持っている。
優しくて、たまに冷たく、温かく、泣いて笑って、怒ってみたり、こころは忙しくて、厄介なもの?
けれど、「愛すべき生き物なのだ」とふくろうさんが言った。「こころは、あの深くて青い空のよう」だと。
人間なんてさびしいね
やなせ・たかし
心と心がふれあって
なんにもいわずにわかること
ただそれだけのよろこびが
人生至上の幸福さ
たったひとりで生まれてきて
たったひとりで死んでゆく
人間なんてさびしいね
人間なんておかしいね
うつむいて侘助椿そっと咲くこころやさしき乙女の如き
今年も我が庭の片隅に、かわいらしいピンクの花が咲いた。
この時季その愛らしい花は、わたしの心を優しくしてくれる。
薄れゆく寂しさ、愛するものとの別れは、楽しかった思い出だけになってゆく。残されたものは、生きてゆかなければならない。ゴールは同じだけれど。
ふと、思う、「momoによく似たワンコを迎え入れようかな」なんて思えるようになった今日この頃。
ピンクの花を眺めながら、そんなことを考えた。momoはどう思ってくれるかしら?ゆめふくろうさんに聞いてみる。「ho-ho-」
「いいワン!」聞こえた気がした。「 momoよりかわいいワンコはもういないと思うけれど」 「そうだワン!」てか。
美しき奇跡のような白い森 冬の陽だまり絵描きと少女
お正月に読んだ一冊。
「絵描きの植田さん」 いしいしんじ 作 ・植田真 絵 (新潮文庫)
高原の小さな村に絵描きの植田さんは、一人暮らしている。辛い悲しい過去を引きずったまま。二年前のこと、仕事場のアパートが爆発炎上、聴力をほとんど失った。恋人と一緒に一瞬にして・・・・。
ある日、凍った湖を滑りながら渡ってきた、少女メリとその母親。「向こう側」から別荘に越してきたのだ。
そして、少女メリとの交流が始まる。そして植田さんの絵も少しずつ変わり始める・・・・だが・・・・
ツノジカ・白テン・マビワ・ナキウサギ・ツグミ・樹氷 白い森の中で、遭難したメリを探して。
「自分は絵描きだ。一本のか細い筆なんだ。この白い森にあの子の姿を見出すまで、どこまでだって歩き続けてやる」
そして、植田さんの書いた何枚もの絵・この美しい森の四季、生き物たち・・・
それらが、奇跡を起こすのです。
「ねえ、みんな!いままで知ってた?考えたことあった?・・・・
私たち、こんなすばらしい世界に住んでるのよ!」 メリは言った。
植田真の絵がいいですね。こころが静かに震える、いい本だと思いまし
た。
絵本を読んでいるみたいで、すぐ読めてしまいます。
植田真さんの絵が「絵描きの植田さん」の絵そのものなのです。白い森に遊びに行きませんか?
先日、天満宮に行ってきた。毎年足を運ぶ。いくつになっても、生涯勉強だから。いい心がけでしょ。合格祈願の親子連れの姿が長い行列を作っていた。皆皆合格するといいね!
おみくじを引いてみた。昨年はいろいろあり過ぎた。今年は?淡い期待を込めて。
なんと、大吉ではありませんか。
「冬去りて うららに照らす 野に山に 花咲き 鳥のさえずり高し」だって。
嬉しいね。いいことは信じましょ(笑)
ここは、梅の木がいっぱい、別名「梅の宮」と呼ばれている。まだまだ硬い蕾がかわいらしい。願いよ届けと高い空に向かっているようだった。
梅の咲くころもう一度来てみよう。その時に、きれいに咲いた梅の写真をお見せしましょう。
今日は、境内にある梅茶屋に寄って善哉をいただきました。美味しかったです。
ここには、投稿された俳句が貼られていました。梅の宮を詠んだ句ばかり、達筆で書かれていました。わたしも一句
「梅の宮やがて花咲き春は来る」 みい
冬の日に蝦蛄葉サボテン花開く若き日の母ふと想う朝
鉢植えの蝦蛄葉サボテンが、次々と花開く。赤とピンクの花びらが朝日に透けてきれい。
母がまだ、若くて元気なころ、いろんなお花の種や苗を買ってきて、庭の隅に植えるのが好きだった。
お墓にも、仏壇にも、欠かさずお花を、我が家の庭のお花を供え、お参りしていた。
そんな姿を思い出す。
その母は今、院内の「こお花きれい・・・」と華やかなお正月のお花見てつぶやいている。
今は、私が季節のお花を供えて手を合わせる。今在ることの幸せを感謝して。母のようにいっぱいお花を育てることはできないが・・・。
今朝の空気は、冷たいけれど清々しくて、身が引き締まる思いがした。
蝦蛄葉サボテンの花が、朝日を受けてうれしそうに揺れた。
今日の一日が、いい日になりますように。
飽食の時代に生きる この星の何処かに飢えて死ぬる子ありや
お正月、家族、親類、友人、集えば、飲んで食べておしゃべりして、それはそれで楽しい。
けれど、現代病、メタボリックにはご用心。わたしも早くいつもの食生活に戻さなければ。
年末年始、スーパーに行けば、食料品が飛ぶように売れる。どの人のカゴを見ても山盛りいっぱい。レジには、長い行列ができる。
思ってしまう。こんなにたくさんの、食糧が皆の胃袋に収まったのかと。残して捨てられた物も多いのかしら。なんて。(どケチではないのですよ)
地球のどこかで、餓えて骨だけ?みたいになった子供たちが、今もいることを、忘れてしまった。
格差?不公平?・・・・頭をよぎる。
さあ、今日から「腹八分目」の生活を始めよう。食べ物に感謝して。
※画像は与勇輝の人形
年賀状遠く離れた友ありてお元気ですか?添え書き嬉し
元旦に届く年賀状の束、一枚一枚相手の顔を思い浮かべながら、見るのは楽しい。
毎年来るのに届かなかったら、どうしたのかしら?少し心配になったりする。少し遅れても、届くとほっとする。
何年も会っていないけれど、年賀状だけは欠かさずくれる友がいて、元気でいるのだなあと安心する。写真入りの賀状では、年毎に成長する子供の姿を見る事が出来る、そしてその成長の早さに驚く。それも楽しみ。
JPのCMで「年賀状は贈り物だと思う」というのがあったが、そのとおりかもしれない。
もう、「虚礼廃止」今年からやめようかと思ったこともあったけれど、止めなくてよかった。年に一度のご挨拶、大切な行事のひとつなのだから。
元日は、晴れだった。空気は冷たかったけれど、こんぴらさんの長い階段上れば、体はぽかぽか。子供からお年寄りまで、長い列を作って、かなりきつい階段を上ってゆく。この一年の幸せと無事を祈って、列は続く。善男善女の願いを神様は聞いてくれるでしょうか?叶えてくれるでしょうか?。神様も大変だ。
途中、昨夜の雪が少し残っていた。子どもたち作ったのか、かわいい雪だるまが、溶けずに残っていた。
参道の入り口から、境内の大門まで365段、大門を抜けると石畳が150メートルほど続く。さらに進むと。
その昔、飼い主の代わりに金毘羅参りをしたといわれる健気なワンちゃん「こんぴら狗」の銅像が迎えてくれた。
大門から本宮まで421段、かなりきつい階段を上りきると本宮だ。ここで丁寧にお参りをすませ、しばし休憩。見上げた空はこんなに青く澄んでいた。
例年のように、「幸せの黄色いお守り」を買って、帰りは、裏参道をゆっくりと下りた。
※なお、本堂からお奥社まで582段の階段が続く。奥社まで上ると1368段ある。
奥社まで上がればかなり御利益があるかも。
初春の朝の空気は何かしら開ける思い深呼吸する
新しい年が始まりました。人それぞれの思いを持って2008年という年を歩き出すのです。
いつもと同じ変わらぬ朝なのに、何故か違って見える、空気が凛として、心を姿勢を正したくなるのです。
「新年明けましておめでとうございます。」
2008年が穏やかで、平和な年でありますように!
今年もよろしくお付き合いください。
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