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風そよぐ若葉の山で又会えたワンコの夫婦は永遠に眠れり
ビーグル犬hanakoとtaroは、仲良しの夫婦だった。
3年くらい前にtaroは、先に逝ってしまったのだ。
優秀な猟犬だったtaroは、たくましい体つきの元気いっぱいのワンコだった。
今は大好きだった山裾(子犬のtaroとhanakoが生まれた知人の土地)に眠っている。
夫がやはりhanakoは、taroの側にと、お願いして同じ場所に埋葬させてもらった。お花をいっぱい添えて。
若葉の緑が、眩しいくらいにきれい、ワンコの夫婦は、同じ季節に逝ったのだった。
今頃は、taroとhanakoは、好きなだけ、大好きだった山を駆け回っているだろう・・・。
時々会いに行くね。
momoは、朝ご飯のときに、いつもは横に来てダラ~っと涎を出して、「早くちょうだい!」と催促するのに、今朝はどうしたのでしょう。見向きもしないで寝ている。hanakoが居なくなったこと、感じているのかしら?それとも、眠いだけ?
やはり、淋しいのだね・・・・・。
そっと燕の巣を覗いてみる。ひたすら親燕は、卵を温めている。時々頭を上げたり体をもぞもぞ?動かしたりしている。
脅かさないように、そっと撮影させてもらった。
無断で撮影ごめんなさい。(頭と尻尾が少ししか見えませんが・・・)
はるか彼方、数千キロも離れた東南アジアから、海を渡って真っ直ぐに我が家を目指して飛来してきたなんて、燕さん!すごいですねえ。
五回目の飛来だけれど、間違うことなく、同じ家を目指してくるんですね、「お帰り!お疲れ様!」と声をかけたくなる。
燕の寿命は、最長15年、平均7年とか。
だとすると毎年同じ燕さんが飛来するのだ。
燕の鳴き声は、♪~土食って、虫食って、渋い~♪チュピィ~チュピィ~チュピー♪だって。そういえば、そんな風に聞こえます(笑
「犬が笑うとき、悲しむとき・ずーっと不思議に思っていた愛犬の謎」東京愛犬ネットワーク・幻冬舎文庫
愛犬家にとっては、興味深い一冊、犬の生態、躾け方、犬の行動の何故?まで、犬の知識、情報が満載。
我が家の老犬の日々を見つめていて、この本の一節を思い出し読み返してみた。
犬は、仲間の死を認識できる、飼い主の死も認識できる。
・・・精神活動や自意識は、大脳の前頭葉の中の、前頭前野という部分が司る。この前頭前野の割合は、人間がもっとも多く、新皮質の中の30%を占める・・・
犬や猫でも3%はある。ということは、犬や猫も人間の10%ほどの精神活動はするということになる・・・
犬は自分の死というものを知っている。自分の死期が近づくと、犬は死神を追い払ってくれという目付きをする。また、死ぬ直前には、独特の光りが犬の目に宿る。
海外の話では、フランスで、4年前に別れた主人の死に目に会いに行ったペティという犬や、スコットランドで、主人のお墓の上に10年間もたたずんでいたポッピィという犬の実話がある。
たしかに、hanakoは側にいてほしいという目をしてわたしを見る。
もう見えてはいないはずの目でわたしを見る。
気配と匂いとその聴力で状況判断をする。
今日のhanakoは、少し食べて、うとうとしている。春は眠いよね。
牡丹寺からの帰りに立ち寄ってみた。懐かしい風景、無人の駅舎がそこにあった。
今もJRの駅として利用されているが、一体何人の人が利用しているのだろう。
映画のワンシーンを思わせる風景が広がる。
田舎のひなびた駅から、旅立っていく若者がいて、それを涙で見送る・・・なんて場面を思った。 それは、若かりし日の私、なんて・・・。感傷的になった乙女(オイオイ・誰が?)
駅前には、立派な桜の木、とタブノキが堂々とした姿で立っていた。
こんなのんびりした風景の中に身をおいていると、煩わしいことなど、どうでもよくなってくるから不思議。
※タブノキ・イヌグスともいい、クスノキ科の高木・樹高20m.径1m.にもなる・クスノキより葉が厚い。
堂々たる風格で、古来、樹霊信仰の対象になったものの一つである。
今日のhanako・名前を呼ぶとゆっくりと顔をあげて声のする方を見る。 なでなでしてほしいのね。
若葉の輝く庭でゆっくりお昼寝してね。
朝、母をデイサービスに送り出して、家事を手早く(手抜き?)片付けて、牡丹の花が満開という、牡丹寺へとドライブした。
最近「認知症」を発症した母、人が変わったような暴言を吐くことがある。
毎日波のように揺れ 動く精神状態がある。
ほとほと疲れたわたし。
気分転換は必須科目(勉強か?)だ。
明日からは、牡丹祭りが開催されるそうだ。
今日は人出が少なくてよかった。風が強い日だった。
大輪の牡丹の花は、その薄い花びらがゆらゆら揺れ、春日を透過して、穢れなき美しさだ。
こころ洗われる 。こころが透明になってゆくよう。
やさしいこころになれたらいいな・・・。
花言葉「風格」なるほど、その清々しさに圧倒される。
明日は、いい日にしよう。
ご心配いただいたmomoは、背中の傷など忘れたように、やんちゃぶりを発揮している。一安心! 元気いっぱいのmaguもうれしそうにmomoの後を付いて走りまわっている。
ちょっと心配なのが、老犬hanako、今日は、何を与えても食べてくれないのだ。 もう、排泄もままならないようだ。
昨夜は、お粥状に煮て魚の身を少し混ぜて食べさせたら、美味しそうに食べたのに。日差しがちょっときついかなと思い、風通しの良い草の上に移動した。
ゆっくり休んで又何か食べようね。 maguも心配そうに見ていた。
我が家に飛来した、燕さん、抱卵を始めました。
脅かさないようにそっと見守っている。いつか、撮影成功したら、アップするつもり、「何個卵産んだんだろう」楽しみ!
朝、少し早めにmomoを迎えに行った。
まだ、ちょっと朦朧とした様子だったが、細かく尻尾を振った。
ほっとしたのか、嬉しかったのだろう。
背中の傷は、かなり大きい、10cmくらい、皮膚は、ホッチキスの針のようなもので縫って(止めて)ある。
こぶは、見た目では、判断できないとのことで、病理検査に出された。結果は2週間後とこと。また、また、心配・・・。
自宅に着くと、うれしそうに尻尾をふりふり、だが、すぐ、布団の上に乗り寝てしまった。やっと安心して寝られるんだ。
ゆっくりお休み。
※ご心配いただいた皆様ありがとうございます。傷の写真は、迷ったのです。でも載せることにしました。23日には、抜糸できるはずです。
momoの手術当日だ。朝、夫が動物病院に連れて行った。
前日は、明日はmomoの手術だ、大丈夫?一日お泊りだけれど、大丈夫?かなあ。なんて話していた私達。
momoは、布団の上で寝ていたのに、側へいって体を撫でると、なんと震えているではありませんか。ブルブル小刻みに体震わせて、不安げな顔(に見えた)をして私をじっと見る。
かわいそうになり、しっかり抱きしめたわたし。
意味は解らなくても、何か気配で感じとったのかも知れない。不安にさせてゴメン。病院のあの台の上に上がるといつも震えているものね。
朝、きれいに体を拭いて、首輪をはずして「さあ、momo行くよ!」
車のドアを開けると、嬉しそうに飛び乗ったmomo、どこかへ遊びに連れて行ってくれると思ったみたいだ。「ごめんmomo」
今日は病院で一泊、明日の朝、迎えに行くことになった。
元気で帰ってらっしゃい!
この広い世界に生きるものたちよ 眼には見えない けれど在る愛
(ライフ・イズ・ワンダフル)シリーズ 「動物に愛はあるかⅠ」
モーリス・バートン 垂水雄二訳
この本は世界中から集められた、動物の思いやりの行動、エピソードを紹介、考察・検証した興味深い本である。
世界中の忠犬物語・死を悼む象、盲目の仲間を助ける鼠・犬・未、中南米のチスイコウモリは血を吸えなかった仲間に血を分け与える。
死んだつれあいの側で徹夜で見張りを続けるハト・友の眼に入ったごみを不器用な手で取り除いてやるチンパンジー、傷ついた仲間を支えて泳ぐイルカ・・・・等
逸話は、かなり感動的なものばかりだった。
どうみても、思いやりの行動、愛情としか思えない行動を、どう思いますか?
たいていは、自らの遺伝子を残そうとする遺伝的利他行動にすぎない?
動物学者、モーリス・バートンは言っている。
「広範な調査の結果、かなり確かな根拠によって動物達に、思いもよらなかったような能力があるということを認めざるをえなくなってきている。こういった事例は、動機づけがなんであるにせよ、ある種の動物が利他的精神、それも思いやりに近いものをもっているとみなしうることである。そして何よりも、こうしたことは、人間と動物のあいだには厳密な境界がないのだ、と考えることを可能にしているのである。」
我が家のワンコも老犬hanakoがよろよろと歩いてくると決して邪魔をしない、近寄って匂いを嗅いでじっと見ているようだ。弱っているのが、解っているのだ。
我が家の物置の梁に燕が巣を作ってから、今年で五回目の飛来となる。
一生懸命子育てをしている姿を眺めるのは嬉しい時間、そしてやがて巣立ってゆく子燕を見送る。淋しいけれど、嬉しい。
そう、もう五年もこの繰り返しなのだ。
この時季、確実に燕さんたちは、この古巣に帰ってくる。小さな命を育むために。
物置の中に巣を作ってしまったので、糞害?は、すごいけれど、「もうどこか他に巣を作ってよ」、とは、言えないなあ。
戸を閉めてみていると「早く開けてよ!」と言って回りを飛び交う。そんな姿を見て仕方なく(夜まで開けっ放しには出来ない)、窓に燕さんの通路(出入り口)を夫が作成、「ありがとう!」と言ったかどうか?早速飛び込んできた燕のカップル、巣作りを開始(古巣の補修、点検かも)している。
今年もかわいい雛の誕生が待たれる。無事、巣立ちするまで見守っているよ。
老犬に春風からの贈りものはなびらひとつ桜散る午後
我が家の庭には、桜の木はない。
なのに、どこからか、ひとひらの櫻花が横たわる老犬hanakoの顔にふわり舞い落ちた。桜の木の下を走り回ることはもうない老犬への春風からのプレゼントだ。
今日のhanakoは、元気がない。昨日はhanakoと呼ぶとよろよろと歩いてきたのに、かろうじて眼を開けこちらをじっと見ているだけ。眼もよく見えないはずなのに、聴覚は鋭いのか声のする方に顔を向け大きく眼を開けじっと見つめるのだった。
momoは、17日手術なのに、何も知らずに元気に庭をお散歩、蛙を探して遊んでいる。
写真はmomoおやつのジャーキーの袋に顔を入れて、「なにやってるの?」 「おやつくれないから、匂いかいでるんだワン!」
相変わらず食いしん坊のmomoでした。
12日から金丸座(1835年建築・現存する日本最古の芝居小屋)でこんぴら歌舞伎大芝居が始まる。例年前日には、お練行列がある。
この日(11日)は、母がなんとかデイサービスに出かけてくれた。
認知症を発症した母と向き合う日々は、日毎に神経が擦り減る感じで疲れが蓄積する。デイの日は、つかの間の休息の時間という気がしてきた今日この頃なのだ。
この日は「お練行列」のある日だと気づいて早速行ってみた。
凄い人出だ。毎年のことながら全国からファンが集まる。
行列は町内を回ってくれるので、待っていれば、役者さんたちの姿をすぐ側で見ることができる。握手などしてもらうこともできる。
わたしは、デジカメでパチリ!撮影させてもらった。カメラを向けるとにっこり微笑んでくれる。出演者は、生で見るとかっこいい。
歌舞伎ファンの方ご覧ください。 詳しくはこちらを。
いい気分転換ができた。日本の伝統芸能に少し触れた時間だった。
さくらばなはらはらと散る昼下がり老犬の見る夢スローモーション
またまた、愛犬のお話、hanakoの子であるmomoの背中に異変?本犬は元気なんだけれど、心配、昨日、夫に病院へ連れて行ってもらった。
背中にこぶのようなものができていたのだ。脂肪のかたまり?脂肪は背中につくことはないという。大きくならないうちに切除することにした。そして悪性か、良性かは、検査に出すことになった。一泊二日で17日手術の予定だ。
hanakoも一緒に連れて行って、注射をしてもらった。
momoは病院嫌い、かなり嫌がって暴れたらしい。一度、交通事故で脚の手術してるからね。かわいそうだけれどmomoのため手術するしかないのだよ。そして悪性でないことを祈るしかない。
病院から帰っても、なんだか不安げ?な顔をしているmomo。
あんなに食いしん坊のワンコなのに、私達が何か食べていても、寝たまま起きて来ないで見ているだけ。 大丈夫だよ!何か感じたのかもしれない。私達が不安げに話しているの聞いていたんだね。
hanakoは注射のせいか、食欲もあり陽だまりでうとうと、楽しい夢 でもみているの?。
momoもhanakoも、いつの間にか「老犬」になったのだ・・・・。
桜も散り葉桜の季節となった。
下の写真は、元気いっぱいのmaguちゃん、hanakoとmomoが病院へ行くのを見送っているところ「私も行きたいワン!」「病院だよ」「・・・お留守番するワン!」
満開のさくらが見たくて、公園へ行ってみた。
明るい春の青い空を遠景に、うすいピンクの花は今を盛りと咲きほこっていた。
桜の季節となると、ひっそりとしたこの場所も、花見客で賑わう。花の咲くのを待ち、花を愛でる人々の顔は明るい。
すっかり歌のうまくなった鶯の声が聞こえ来る。
桜のトンネルは、どこまでも、どこまでも続いてわたしを誘う。
いたずらな風がはなびらを散らすのでは、と心配していたが、ここ「森林公園」の桜は、重なり合うように満開、まだ蕾も少し残っているようだ。まだまだ楽しませてくれそうだ。
桜ほど、日本人の心騒がせ、待ち望まれる花はないのではないか。
最近、歳のせいかもしれないが、ひっそりと、花見客のいない一本の桜の木の下で心ゆくまで対峙していたいと思うわたしがいる。
そして、桜吹雪の中に佇ちはなびらに別れを。
「ありがとう。そしてまたね」と言おう。
池の中から亀さんが、のっそり出てきた、
首を長く伸ばして桜を鑑賞しているのかな。
我が家のmomoも「私も見たいワン!」 今度、「連れて行ってあげるからね、でも花より団子!なんて言わないでね」
「やはり、団子の方がいいワン!」「やっぱり!!」
ふと見れば小さなギャラリー吾を呼ぶふくろうの声遠く幽(かそ)けし
近くに小さな美術館「灸まん美術館」がある。
買い物の途中にふと立ち寄ってみた。
その一角にある「灸まんギャラリー」で「三上栄治展」が開催されていた。
主にふくろうをモチーフにした油彩画を描いているみたいだ。青を基調にした、幻想的な絵、なんだか童話の世界に迷い込んだような感覚になる、不思議
な絵だった。はるか彼方から現代の人間を静かに見つめているようだ。何を伝えたいのでしょうか?
三上栄治さんのHPはこちら「ふくろうのアトリエ」興味のある方は覗いて見てください。ふくろうがいっぱい描かれています。
思いがけないふくろうさんとの出会いだった。
愛犬momoにも、フクロウの鈴をプレゼントした。
「気に入ってくれた?」
「チリリン・チリリンうるさいワン!猫じゃあないよ」だって。
今年も「スイセンコレクション」を見に行った。「国営讃岐満濃公園」で開催されている。四国最大級24万本125種というから、圧巻である。
いろんな種類が次々と花開くので4月上旬まで楽しめるそうだ。
今日(31日)は、昼間汗ばむくらいの陽気だった。スイセンの花の小道は、なんだかいい香りが漂い、蝶がひらひら妖精のように花の間を舞っているのが見えた。お日様の日差しを浴びて眩しいくらいの美しく輝いていた。
「芸術的に咲き誇るスイセン」と書いてあったが、そのとうりだ。
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