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先日、東京へ行った時。谷中を散策、朝倉彫塑館を訪れた。館内には、人物像・猫などの動物像、約50点が展示されていた。俳句、南画・華道・書道にも優れた才能を発揮したといわれる。遺愛品や、彼の美意識により収集した書画・陶器なども多数展示されていた。
館の中央にある「五典の水庭」自然の湧水を利用した日本庭園、彼が自己反省の場として設計した。儒教の五常を象徴した仁・義・礼・智・信の五つの巨石が配されている。
仁も過ぎれば弱(じゃく)となる
義も過ぎれば頑(かたくな)となる
礼も過ぎれば諂(へつらい)となる
智も過ぎれば詐(いつわり)となる 信も過ぎれば損(そん)となる
深いですねえ。日本庭園は心静かになれる。わたしも自己反省しなくては・・・・。と思ったのでした。
犬には犬の時間があるのだろう。ゆったりと流れる春の時間、何を想っているのだろう?いえ何も・・・・。
人と比べて、あまりにも短い命の時間を。
愛犬momoの異変に気づいて、動物病院へと連れて行った。
お腹が異常に膨らんでいる。そして血尿?が出ているようだ。
友人に聞いていた「いい病院」(今まで行っていた病院は、説明がない。よく解らない等、不満があった)へ行った。てきぱきと診察、検査、説明も解りやすくて、清潔、良かった!
で、結果は、お腹の膨らみは、以前の手術で、一部お腹を覆っている膜が破れ(前の病院の手術ミス?)脂肪が流れ出したものとか。今は、放置しておいても大丈夫らしい。血尿は、細菌性のものかもしれない、一応検査に出すことにして、出された薬で様子を見ることにした。
検査結果は、後程連絡くださるとのこと。
本人、じゃあない、本犬は今のところ、食欲旺盛元気なので一安心ではあった。
それにしても、大きなお腹メタボリック、そのものだ。餌を減らそうかな、運動量は増やさなくてはね。
「犬の消えた日」井上こみち著 これは1986年、3年間の辛い取材をもとに書かれた物語。
犬や猫、その他の動物たちも理不尽な戦争の中で犠牲になったのだ。
昭和17年、主人公の少女さよ子が弟のように可愛がっていた、シェパード、アルフとフリッツに出征通知が来る。かしこい2匹の犬は、軍用犬として訓練された優秀な犬だったのだ。日本軍の犬としてふさわしい朝日号・若葉号と言う名を国から与えられ出征、兵士と同様行き先も告げられることはなかった。そしてもう二度と会うこともない・・・。大きな体でさよ子に甘えていた姿はもうなかった。
寂しがって元気のないさよ子のために、父は柴犬の子犬をもらってくれた。柴犬なら軍用犬ではないので戦争に連れて行かれることもないだろうと。東亜と名づけられたその犬と暮らすことになって半年が過ぎた。
昭和18年さよ子10歳のころ、上野動物園では、空襲に備えて、猛獣が殺処分された。そしてさよ子の家に届いた警察署からの一通の書状「犬の供出命令」だった。「お国のために犬を役立てましょう。犬の毛皮は、兵隊さんの、防寒着や飛行隊の帽子として・・・」
それを知った人の中には、夜こっそり犬を逃がそうとして暗い夜道を夢中で走った人もいた。自転車で何キロも先の野原に連れて行き餌をやり、食べている間に逃げ帰ったら、犬の方が先に帰っていたという話もあった。
野良犬になっても生き延びて欲しいと願ったのだ。
そうして物品のように供出された犬たちは、野原の真ん中のある工場一箇所に集められ、一頭づつ、一日に30~50頭づつ撲殺・・・・・あまりに残酷なその役目を負わされた人もどんな思いで・・・精神的に追い詰められた人もいた。
さよ子の犬「東亜」との残酷すぎる別れだった。
昭和20年さよ子に嬉しいことがひとつあった。父がお年玉に黒い毛の子ネコをくれたのだ。タマと名づけられ、さよ子を元気にした。
が、やがて空襲で命からがら逃げ出し、もし生きていたならばこの家で会おうと、「タマは離しなさい。動物の本能で安全な所に逃げるでしょう」母の言葉だった。
離れ離れになった家族だったが、何とか再会できた夕方のこと、こげ茶色の生き物がのろのろとこちらへ向かってやってきた。黒猫のタマではないか!焼夷弾を浴びて火傷を負い右目がふさがっていた。そして十日目、タマは、さよ子に抱かれて生まれて半年足らずの短い命を終えた。さよ子の体から力が抜けていった。
長いので興味のある方は続きをどうぞ。
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