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愛犬momoが子犬だった頃のこと、排泄の躾けは割と早く出来たが、物を咬む癖はなかなか直らない。
ある冬の日、私達は、所用で急に外出することになった。さて、momoをどうしよう?外は寒いし、庭につないで置くのはかわいそう・・・、見るとmomoは炬燵にもぐったまま、寝ている子犬を残して私たちはそっと抜け出した。すぐ帰ってくるからこのままにしておこう、眠らせておこうと思ったのだ。やさしい私達?だったのだが・・・。
子犬のことが気がかり、早々に用事を済ませて帰宅した。戸を開けたとたんに、尻尾をふりふり飛び出してきた。
「オトナシクしていたの?」「クゥーン・クゥーン」
嫌な予感、玄関横の和室を見てびっくり!!!
ここはどこ?あばら家?障子は、はずれ倒され、桟は咬みまくり、敷いてあったじゅうたんは、めくられ引っぱられ、端っこは咬まれて、無残!
この小さな子犬にこんな力があるなんて。
この部屋からは、外が見渡せる。なんとか脱出を試みたのだろう。私達を探して。
「泥棒でもこんなに荒らさない!」「・・・・・・」
私達の留守中、暴れて咬んで本人(本犬)は、すっきりした顔? 今までにも、網戸は何度か破られた。なにしろ部屋に入ろうとして突進(おまえはイノシシか)するんだから。
こんなに暴れたには、初めて、呆然。
もちろん、大目玉、叱ったけれど解ってないワン。
それから、8年余が過ぎ、オトナに(立派な老犬だ)なったmomoは、ずいぶんと大人しくなった。寝てるか食べてるか・・・おバカは健在。
今日も、ぐうたらしているmomoでした。
・頭隠して尻隠さず・「それでも、隠れているつもり?」
そんなところもかわいいのです。おバカなわたし。
我が家の愛犬、母犬hanakoとその子momo、観察していると面白い。姿形は当然似ているけれど、表情(犬も、実は表情豊かなのだ)が、おかしいくらい似ている。上目使いで物をねだる、ちょっと心配そうな顔、うれしそうな顔、等・・・
確実に受け継がれている・DNA・地球上の生物がすべてこの贈り物をして、受け取って、存在している。
小川真理子(歌人)の歌にこんなのがあった。
DNAのらせんのリボンをかけられてかつてこの身も世に贈られき
最初、らせんのリボンの比喩が解らなかった。生物の教科書にあったけ。
DNAは、デオキシリボ核酸・deoxyribonucleicacid の略であり、DNAは「二重らせん構造」である。
ということを知った。
先日、満濃池へ行ってみた。
この日は晴天で、気持ちのいい日だった。池の周囲を少し歩いてみた。水を湛えた大きな池は神秘的、伝説の竜が住んでいるというのは、ほんとかもしれない。そんなことを考えながら眺める美しい風景、飽きない。
烏が一羽、光りの粒をきらきらさせて、さざなみの立つ水面を見つめて?いた。
その黒い後姿が、孤独でちょっと淋しげ、冬だから・・・
早く仲間の所へ帰りなよ。
冬の陽射しに誘われて、公園を歩いてみた。早足で歩くと体も温まってちょうどいい。が、やはり冬の風は少し冷たくて、耳が少し痛くなった。
葉牡丹が綺麗に植えてあった。笑顔で迎えてくれて
いるようだ。青い空に白い雲、見上げた空は目に、心にやさしかった。
駐車場付近で、時々出会う猫ちゃんに再会した。「こっちへおいで」呼びかけても警戒して近づいてこない。お腹すかしているみたいなので「パン食べる」というと、パンに釣られて、抜き足差し足?近づいてきた。 公園には、人が多いので、こうやって誰かに食べ物もらって暮らしているのだろう。あまり痩せてはいなかったので、安心。「又会えるといいね、猫ちゃん」ちょこんと坐
って見送
ってくれ
た。
本日のmomo涎が風船になっている。面白い!
相変わらず食いしん坊食べ物を見ると、涎ダラーなんだから。
奥村民江「犬になった日」不思議な感覚に捉われる一枚の絵。(1978年・油彩・麻布・個人蔵)
私は奥村民江の絵を見たことがなかった。先日ブログ友のsaheiziさんに教えていただいて、この絵を知った。
小説家・村田喜代子さんの記事「女と生きもの」によると、
・・・二十年近く前、初めてこの絵を見た時の、夢魔にはまり込んだような胸苦しさを、今も忘れることができない。奥山民枝の絵では、実にいろんな動物の中に人間の女が身を潜ませている。・・・・だがこの絵「犬になった日」は、つまりは「犬になれなかった日」の象徴的な肖像画である。・・・
で、私も愛犬momoの伏せをして、餌をもらおうとしているところ(媚びてる?)をスケッチしてみた。なんだか人間っぽくなったかな。私が描くと夢魔の世界というより、絵本の挿絵って感じ・・・
可愛くなってしまう。
銅板画家・山本容子著「犬は神様」を読んだ。
洗練された絵が素敵だったので買ってしまった一冊。彼女の側には、子供の頃から、いつも犬がいた。
五郎・ボスク・ヤロス・マッシュ・そして15年間を共にしたルーカス。
「銅板画家である私は、版画の性質上、ものごとを反転させて考えることがしばしばある。あるとき、犬(DOG)を反転させると神(GOD)になることに気がついた。そう、犬は神様なのだ。今までに出会った犬を思い出すと、神様がいつもそばにいたような幸福を私は覚える。犬は私達に愛や試練を与えてくれたのだろうか」と書かれている。
彼女の生きてきたいろんな場面に犬がいた。彼女の人生が生き方が解った気がした。一気に読んでしまった。
今日は、私に寄り添って生きる生き物「momo」をスケッチしてみた。絵心はない私だけれど、似てる・・・と思うのは私だけ。
喜んだmomoお腹ゆらゆらポーズ、「うれしいワン!」
いにしえの神秘の森に住むという「幸せの鳥」見えぬ現代
自然が自然のままに在った頃、「幸せの鳥」は、確かに人の心に存在していたのかもしれない。自然がなくなってゆく現代、もう「幸せの鳥」は見えなくなってしまったのか?
初夢は?はっきりとは、思い出せない夢を見た。森の中どこまでも続く道なき道を何かを探してさまようのは、小さな私、たどり着けない・・・そんな場面を断片的に思い出す。
私は何かを探してどこまでも歩いているのか?今も、そしてどこまでも・・・。
日本では、ふくろうが「幸せの鳥」として親しまれて、縁起の良い字があてられている。
福朗・いつも朗らか福がいっぱい
福籠・福がいっぱいたまる
不苦労・苦労知らずで福がいっぱい
福老・不老長寿で幸せな老後
「幸せの鳥」ふくろうを身近に置いていつまでも幸せに。
すこやかに青菜の色の美しき七草の粥やさしい味よ
松の内最後の日、「七日正月」に、無病息災と長寿を願っていただく「七草粥」お正月のごちそうで疲れた胃腸を休ませる。昔からの知恵、忘れたくない行事だ。
今年一年元気で過ごせますように!おばあちゃんの長寿を願って!「いただきます」。白と緑が清々しくてやさしい味がした。
春の若菜「せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ これぞ七草」古くから歌われてきた。自然界からの新しい生命力をいただいて今年も元気でがんばろう。
「七草の粥のあをみやいさぎよき」松瀬 青々
我が家のおばあちゃんわんこ「hanako」(13歳)も、お粥を食べた。いつまでも長生きシテネ!
ステキな年賀絵は、rabuta9さんからいただきました。ありがとう!
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