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反戦の歌人は逝けり鮮烈な言葉に平和希望を託して
平和を希求し続けた歌人、近藤芳美さんが21日93歳で亡くなった。
その背後の死と暴力を選ぶため地上に幾憶の絶望がある
必ずありてならぬ戦争となす怒りを今を無力の怒りともして
世をあげし思想のなかに守り来て今こそ戦争を憎む心よ
「歌を作って生きていくこととは、やはり自分のうちに何らかの生きることの緊張を持ち続けていくことを思わなければならないし、同じく生きることの上に、絶えず、希求 ー 何かを求めるということを見ていかなければならないのであろう。それを、「思想」という言葉でわたし自身は思っている」(近藤芳美 語録)
愛妻家としても知られた近藤芳美は、妻への相聞歌も、歌い続けた人だった。
たちまちに君の姿を霧とざし在る楽章をわれは思ひき
妻のためさんざしの実を溜め帰る冬岡の路あかね沈めば
妻へ向けられたやさしい視線が、その美しい言の葉から伝わってきます。
ご冥福をお祈り致します。
それはそれは、ひ弱な子猫だった。最初出会った時には、人を警戒して、木陰からこちらを窺っていた。
二度目に出会った時には、大きなお腹をしていた。お腹に赤ちゃんがいたようだった。それからしばらく見かけることはなかった。
数ヶ月が過ぎたある日、あの時の猫ちゃんに遭遇、もうすっかり大人?になっていた。私がカメラを向けても動じない。さすがに手の届く距離まで近寄ると逃げられてしまったが ・・・。生まれたであろう子猫の姿はない。どこかへ、もらわれていったと信じたい・・・・。
ここは、森林公園の売店の横である。ここに住み着いて、売店のおばさんに餌をもらっているのかな。少し太って毛並みもよくなって可愛かった。
よかったね。ねこちゃん。
青年は孤独な戦士最後までゴール死守して立ちはだかれり
w杯、残念ながら敗退した。今日選手達日本に帰ってきました。お疲れ様!王者ブラジルと戦った経験は、これからの選手人生の糧にしてほしい。
玉田選手のシュートは、スカッとしました。川口選手は、幾度もブラジルのシュートを封じてくれました。
汗にまみれ戦う姿は、かっこよかったです。
もの言わぬ小さきいのち何思うこの世のすべてにみすゞの心
金魚のお墓(金子みすゞ)
暗い、さみしい、土の中
金魚はなにをみつめてる。
夏のお池の藻の花と、
揺れる光のまぼろしを。
静かな、静かな、土の中、
金魚はなにをきいている。
そっと落ち葉の上をゆく、
夜のしぐれのあしおとを。
冷たい、冷たい、土の中、
金魚はなにをおもってる。
金魚屋の荷のなかにいた、
むかしの、むかしの、友達を。
子供のころに、金魚のお墓を作ったことを思い出す。小さな金魚の小さなお墓を、小さな命が消えたことが悲しかったことを。
今日、みすゞさんのこの詩を読み返してみた。こんなにも小さなものに対して感情を、感じ取り、自分に重ね合わせて心で対話したみすゞさんのやさしい眼差しを感じた。
少しでも、心が、体が、疲れた時にはみすゞさんの詩集を開いてみる。心が浄化される。そして、すべての存在に意味のあるということを、改めて感じた。
色は匂(にほ)へど散りぬるを わが世誰(たれ)ぞ常ならむ 有為(うゐ)の奥山けふ越えて 浅き夢見じ酔(ゑ)ひもせず
(花は美しく咲くが、やがては散ってしまう。人も、楽しい時、栄華は続くことはない。悲しい、苦しい人生の山を越えてきた。が今思うと、お酒を呑んで眠り浅い夢をみたかのように、儚いものだ。という意味でしょうか)
誰もが知っている、無常観の漂うこの歌は、いったい誰が作ったのでしょうか?
弘法大師といわれているが、定かではないらしい。
この他にも、日本語の発音を全部使ったうたがあるのを知った。
とりなくこえす ゆめさませ みよあけわたる ひんがしの
そらいろはえて おきつべに ほぶねむれいる もやのうち
「明治時代に一般から公募、入選・坂本百次郎作」
ゆきのふるさと およめいり ゐなかあぜみち うまつれて
わらやねをぬけ たんぼこえ はずゑにしろく ひもそへむ
「昭和51年・読売新聞が募集・入選・久保道夫作」
もう少し生きてみますと仏前に白薔薇供え今日は父の日
6・18は、「父の日」母の日と比べて忘れられそうな日かもしれない。父がいた頃を思う、厳しい時代に生きた父、良き事など殆どなかったかもしれないが、何故か今は、笑顔の父の顔しか浮かばない。平和な時代に居る私だけれど、「しっかり生きよ」そんな声が聞こえる気がした。言えなかった「お父さんありがとう」感謝の言葉を言う日にしたい。
住友生命保険のアンケート・お父さんに贈りたい漢字は?
一位「謝」二位「愛」三位「健」四位「楽」とか
※米の退役軍人が、妻亡き後、男手ひとつで育てた六人の子供、その一人であるJ・B・ドット夫人が、「母の日のように、父に感謝する日を」と運動し、6月の第3日曜が「父の日」と制定された。ドット夫人が墓前に白い薔薇を供えたことから、亡くなった父には、白薔薇、健在している父には赤薔薇となった。
「水・土、それをおおう植物の緑のマント・・こうしたものがなければ、地上から動物の姿は消えてしまうだろう。現代に生きる私たちはほとんど考えてもみないが、草木がなければ人間も死滅してしまうのだ」 レイチェル・カーソン(沈黙の春)
緑は人間に深い安息と、安らぎをもたらす色、緑には再生の力がある。人工的ではない、自然の森に漂う不思議な力は何?
人は疲れた時、緑の野菜を求める。安全を求める時の信号、非常口の緑色、緑の薬草、等、人は常に緑色を求めるのだ。
原始の緑は、始まりの色、人の記憶の奥に刻み込まれた色、緑の宇宙へ胎内回帰、そして再生する心と体がある。
夏木立天に向ひて雨を呼べ深まるみどり育めいのち
「私たちはおらず、森があった、私たちはいなくなり、森が残る」
(世界ことわざ大辞典・古代スラブの諺)
虹色の梅雨の晴れ間の花菖蒲今日を生きよと微笑む女神
曇り空から雨が落ちてきた。梅の実がなる時季、梅雨の時季、この先 約一ヶ月ほどは、雨を眺めて暮らすことになる。雨に洗われ、雨に濡れ、自然は夏に備えて生きる力を蓄える季でもある。
今年も、花菖蒲園には、雨に濡れても鮮やかに、色とりどりの花菖蒲が競うように咲いていた。梅雨のうっとうしさを忘れさせてくれた。
花菖蒲・学名・アイリス「虹の女神」という意味があるそうな。
花菖蒲園には、雨傘をさした着物姿の美しい人が似合う。女神はそんな楚々とした日本女性のような気がする。
「いづれあやめかかきつばた」のあやめは、花菖蒲のことだそうだ。
う~ん区別がつきません。
花言葉・やさしい心、あなたを信じる
水の月人の運命(さだめ)の哀しさを知るや知らずや紫陽花の花
その人は、病室のベッドに埋もれるように横たわっていた。難病、体の筋力が衰える怖い病に冒されていた。今の医学では、治療法はないという。
私がまだ少女のころの記憶を辿る、抜けるように白い肌、すらりとした姿のとても美しい人だった。あれから何十年、どんな人生を送ってきたのか?決して幸せではなかったと聞く・・・・。
病院からの帰り道、緑の若葉はまぶしすぎた。紫陽花よいつまでも色あせないで。
いつの日か鳴く声途絶え里山に森の賢人姿を消す日
昨日の(朝日新聞)のかわいいふくろうのヒナの写真に眼が釘付けになった。じっとこちらを見つめている。見てない方のために記事を紹介しておきます。
森の賢人のため息
頭上からグワッグワッという鳴き声が聞こえてきた。こちらに近づくなと威嚇するフクロウの親鳥の鳴き声だ。そういえば、ヒナたちの巣立ちのシーズンだ。
見上げると、真っ白い綿毛に覆われたフクロウのヒナが高い枝先に止まり、不思議そうにこちらを見つめている。近くには心配そうな親鳥の姿。やがて、ヒナの方は枝に腰を掛け、座り込んでしまった。まるで、物思いにふける森の賢人である。
フクロウは、大きな樹洞を繁殖に利用している。ところが、樹洞のあるような大きな木が次々に里山から姿を消し、各地でフクロウも姿を消し始めている。さしもの賢人も、人間の身勝手な行動には打つ手がない。(神垣健司・環境カウンセラー)
青水無月の夜に、鎮守の森からかすかに、確かに聞こえてくるフクロウの鳴く声、里山の緑の森から吹く風にのって。蛍が神秘の光を放つ。人は皆、季節の巡りを肌で感じて、穏やかな自然、平和に感謝したものだ。悠久の季節の巡りの中で、ほんの一瞬のささやかな人の一生、命の大切さと悲しさ、今も昔も変わることはないはずなのに。
いつの日にか、自然の怒りに触れる時がくるのかもしれない。
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